変わること

 横木と桜井が二人でビルの屋上に立っていた。横木は桜井の先輩にあたり、桜井は横木に対し頻繁に相談をしていた。今回の場合は愚痴であるが。

「わが社のコア・コンピタンスは精密機器の組み立てにあった筈です! それなのにアプリの開発をしようなんて無謀だと思いませんか? 今までモノづくりで戦ってきていたのにプログラムを造ろうなんて無理があります。先輩も納得いきませんよね?」

 横木は少々返答をもったいぶった。それは桜井の意見に同意できていないことをサジェストしていた。

「桜井君は、金毘羅山に行ったことはあるかね」

 桜井は釈然としない様子で「いいえ」と返答をした。

「金毘羅山というのはこの日本にはいくつもあるんだが…、どの地域にある山を連想してその返答をしたのかな」

「ああ、いえ、そもそも知りませんでしたので、行ったこともないと思い、そう言いました」
 桜井は横木の表情を探りつつ、言葉をひねり出した。横木は若干の驚きを見せたが、すぐに気を取り直し、伝えたいことを再構築した。

「そうか…どれも知らないのか。香川の金毘羅山なんかは途中に立派な神社があったり、登った景色がなかなか壮観でなあ。だが京都の金毘羅山は他の山に阻まれて遠くまでの景色こそ見えないが、ロッククライミングに向いた場所があって、少々風変わりな山ではあるんだよな。」

「あの、その山がなにか?」

 桜井は遠回しな表現を求めてはいなかったが、横木は直接的な鋭い指摘が桜井ほどに上手くないために、もったいぶった言い方でサジェストしようとした。

「山にもいろいろあるってこと。宿直(しゅくちょく)と宿直(とのい)だって、同じ字だが意味は似ているようで違う。見た目が一番肝心なのさ。中身が違っていたって、形が変わらないのなら関心も変わらないんだ」

 桜井は言いたいことのなんとなくを理解こそしたが、しかし真意がなにであるのかを理解できず、首をひねった。横木も自分の言い方では理解できないことはわかっていたため、次の言葉を考える。すると横木は中学時代の思い出がふと瞬間的に舞い戻ってきた。 陸上で結果を残し校舎に付けられた懸垂幕がでかでかと自分の名前を掲げていたあの夏の日のことを。本来そこに掲げられるべきなのは自分の名前ではなかった! 

 同級生たちの才能に圧倒され、100mをあきらめた横木は80mハードルで戦うことを決める。もちろん楽ではなかった。しかし、横木の転向は間違いではなかった。80mハードルなら県に通用したのだ。そして、横木は全国大会に出ることが決まった。だが、100mの方は、横木がとても敵わないと痛感した同級生たちは、みな県予選で敗退した。それが悔しかった。自分より才能があると認めた人たちには何も残らず、横木には懸垂幕が残ったあの夏の日は、横木から一つの感情を奪ったのかもしれない。

「結局のところ、外国の企業とも競い合っている今のままでは、コア・コンピタンスがあろうとも、激しい競争に疲弊することになるのは避けられない。なによりうちの会社は世間からは隠微なせいなのか、どうにも前時代的な企業というイメージを持たれているみたいでね。保守的になってはいけないんだよ」

 横木がはっきりとした主張をしたために、桜井は合点がいったように静かにうなずいた。

「しかし、アプリの開発は無謀です。ノウハウがない。」

「ま、疎棰でも瓦は支えられる。多少のダメージを負っても、うちならなんとかなるさ」

 会社の屋上にはヒヤシンスの花壇がある。先代の社長が好きだったとかで毎年変わることなく育てられているのだそうだ。社長が息子へと引き継がれ、多くの事がつつがなく継承されていったのだが、一つ伝え損ねていたことがあった。それはヒヤシンスの色である。花は白にするべきということを伝えらられていなかった現在の社長は紫のヒヤシンスを屋上で咲かせている。
それを知らない桜井は会社がこれから罹るであろう瘧(おこり)に気を揉ませながら下へと戻っていき、白いヒヤシンスを覚えている横木は屋上に取り残されるのであった。


・コアコンピタンス(core competence)・・・〈核となる能力(competence)の意〉自社の得意な競争分野。あるいはその分野に   自社資源を集中する経営手法。
・サジェスト(suggest)・・・暗示すること。示唆すること。
・金毘羅山(こんぴらさん)・・・ https://eonet.jp/travel/mountain/index_111220.html
・宿直(とのい)・・・(「殿居」の意)①宮中・役所などに宿泊して勤務・警戒すること。 万2「君ませば常つ御門(みかど) と―するかも」 ②天子の寝所に奉仕すること。御添臥。 源桐壺「御方がたの御―なども絶えてし給はず」
・懸垂幕(けんすいまく)・・・建物の上から吊るす、広告や標語を記した細長い垂幕。
・隠微(いんび)・・・外面にはかすかにしかあらわれず、実態の分かりにくいこと。 「社会の―な面」
・疎棰(そすい)   →疎垂木(まばらだるき)
・疎垂木(まばらだるき)   間隔をやや大きく、まばらに並べたたるき。
・ヒヤシンス(hyacinth・風信子)・・・クサスギガスラカ科(旧ユリ科)の多年草。秋植え球根植物。地中海沿岸の原産。鱗茎から肉質で広線系の葉を叢生。春、青・紫・紅・黄・白色、また一重咲・八重咲の花を総状に付ける。花に芳香があり、園芸品種に多い。江戸末期に渡来し、ヒヤシントと呼ばれた。
・瘧(おこり)・・・間欠熱の一つ。隔日または毎日一定時間に発熱する病で、多くはマラリアを指す。わらわやみ。〈季・夏〉。竹斎「―をこそはふるひけれ」

広辞苑第7版

kinotto@benben

キノットと申します。サッカーの情報とか発信できるように頑張ります。

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